先日、大学時代の友人がご夫婦で沖縄を訪問されました。彼は、東京で音楽家として活動しており、今回のメイン目的は、沖縄在住のミュージシャン仲間を訪問することで、師走の多忙な中、2泊3日のスケジュールを何とか捻出。そんな限られたスケジュールの中、私にも時間を割いてくれることになり、観光客のみならず沖縄県民にも愛される恩納村の名店「シーサイドドライブイン」にて、お茶しました。
学生時代、特別に仲が良いと呼べるほどの間柄ではありませんでしたが、会えば言葉を交わすし、彼が憎まれ口を軽く叩けば(もちろん冗談で)、私もそれに応戦し、毒舌で遠慮なく返していました(半分本気で)。
私達が卒業する頃、世間は就職氷河期の真っ只中で、同期の多くは必死に就活し、何十社と企業訪問しては就職を決めていきました。私も類に漏れず、不安で泣きそうになりながら決死の就活中。周囲は当然のようにサラリーマンを目指していた時代に、彼は就職せず、在学中に結成したバンドで食べていく、と表明しました。
その時は、多分「頑張ってね」くらいの言葉をテキトーに送ったと思うのですが、本心では「30歳になる頃には野垂れ死んでるだろう」と考えていました(私の心の闇よ…)。
私自身は、中学の頃には漫画家や画家になりたい、なんて漠然と思い描いた時期もありましたが、高校の頃にはやたら現実的に「芸術で食べていけるわけがない」と、芸術系に進学することは全く考えず、元々英語の勉強が好きだったこともあり、将来の就職に有利であろう語学系を専攻しました。流れに従順というのか打算的というのか、そんな私にしてみれば、大学卒業後に就職を選択しない彼は、何とも呑気に映りました。
それが、50目前となった今、彼は音楽家としてバンドだけでなくソロでも活躍し、他者へも楽曲提供を行い、更にはイラスト業や執筆業もこなす等、多彩な才能を発揮しながら、創作活動一本で見事に生計を立てているのです。自分を信じ続け、道なき道をそれこそ必死で切り開き、今は立派に事務所を構える彼は、音楽家であり、企業家。御見逸れしました。
それに引き換え、周囲に流され続けて今に至る私は、「はあぁ~、あと15年サラリーマンするのぉ~?」(←定年65歳)なんて後ろ向きな気持ちでサラリーマン業にしがみつきつつ、肝心な創作活動は細々としていて、よっぽどお気楽ご気楽だと猛省。私も創作活動一本で生計が立てられるよう、必死にもがいてみよう、と決意を更に固くしました👊
ちなみにその人、大の猫好き😸。友人宅の猫様と、先月亡くなった我が家の姉猫は、顔がちょっと似ていることもあり、昔からお互い、「オタクの子もかわいいけど、うちの子の方がもっとかわいい」と譲りませんでした😁。
ふふ、カワイイでしょう❤️??(親バカ)
姉猫が旅立ったばかりで私が失意の底にいた時、あの子を知る人がタイミング良く連絡をくれたことで(今回会うのはなんと11年ぶりで、前回会ったのは私がちょうど猫達と同居し始めた頃‼️)、まるで「泣いてばっかいないで、少しは気晴らししてくるニャン😼」と背中をポンされたような気がしました…。
実は今回の訪問では、彼の友人である「猫好き」アーティスト2名とも繋がるという幸運に恵まれたのですが、それはまた次の機会に。。。