子供は天からの預かりもの

育児と育自

もうすぐ7歳になる私の息子は、キリスト教系の産婦人科病院で産まれました。

と言っても私は無神論者ですし、病院は家から車で40分程の遠方にあるので、「陣痛の時に大丈夫かな?」と不安ではありましたが、その病院の方針が、基本は母子同室で、母乳育児を支援していること、また、沖縄随一とも言われる新生児救命救急病院が近隣にあって連携していること(42歳終わり頃での超高齢出産で、『何か起きる』と覚悟していたので)もあり、その病院に決めたのでした。

超高齢かつ初産に、あれこれ心配していましたが、「案ずるより産むが易し」の言葉どおり、おかげで超安産。母子ともに無事退院しました。

新生児との生活を慌ただしく送り、もうすぐ3ヶ月になる頃、この病院から「百日祝い」の招待状が届きます。

内地ではあまりないかもしれませんが、沖縄では百日祝いが盛んで、親族でお祝いしたり、記念写真を撮ったり。

今回、生誕100日前後の月齢の新生児達とその家族が、病院に招待され、写真撮影や賛美歌披露をしてくださいました。そして、院長先生からは、今も忘れられない講和を頂戴しました。

子供はよく、『天からの授かり物』と言われますが、私は『天からの預かり物』だと思うんです。いつかは神様にお返しするのだから、という距離感で、大切に慈しみながらも、『自分の物』のように扱ってはならない、くらいの心持ちでいることが、私は良いのではないかと思っています。

院長の言葉を、一字一句キチンと覚えているわけではありませんし、真の意図を私が正しく理解したかは分かりませんが、私はそう解釈し、そして、深く胸に刺さったのです。

一瞬でも目を離せば死んでしまいそうな、小さな存在の赤ちゃんを、毎日お世話して、大事に扱って、ただひたすら、幸せになってくれるように願って…だって、「私の子だから」。

でも、いつか見返りを求めて、自分の思い通りになることを無理強いしませんように…。

今も、息子のことを案ずるあまり、つい自分の思うように動かそうとしてしまうことが多々ある私。あの言葉を時折思い出しては、「この子の人生は、この子のもの」と、そんな当たり前のことを自分に言い聞かせています。

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