「孫はかわいい」とか
「年老いてから生まれた子はかわいい」とか
よく聞くけれど。
「生殖能力を失った自身にとって、
遺伝子を受け継ぐ
かけがえのない分身」
と、潜在意識が思わせているのかもしれない。
それは本能的なものなのかもしれないし、
ただ単に、年齢とともに涙もろくなって
あらゆるものが尊く見えてくるだけかもしれない。
「孫に対しては責任がないから単純にかわいい」
なんて聞くけれど。
高齢で生まれた我が子だって、
「独り立ちするまでしっかり見届けなきゃ」とか
「長生きしなきゃ」とか
余計な責任までめちゃめちゃ感じつつも、
やっぱりかわいいんだから
責任の問題だけじゃなさそう。
子どもと過ごす時間は、自分の幼少期を思い出させる。
かつての自分を追体験しているのかもしれないし、
自分が経験しなかった「初めて」を、子と一緒に体験しているのかもしれない。
一緒に成長する時間は、予想しなかったほどに特別で、愛おしい。
人は年齢を重ねるごとに、過去を振り返る時間が増える。
振り返ると、自分のかつての姿と、子どもの現在とが、重なってくる。
そして、「もう戻らない時間」への哀愁に混じりながら、そこはかとない安堵も感じる。
自分の一部を分け与えた、分身のような存在が、未来へと続いていくことに。




しみじみ感傷に浸っていると、息子が視界に入ってきては、
「一人エグザイルッ」と回り始めてくる。
何度も視界に入ってきては、披露してくる息子。
分身の術。
いや、そういうんじゃなかったんだけどな…